ミントン(Minton)

Mintonは、1973年、英国の窯業で有名なStoke-on-Trentで、銅版転写の彫刻師だったThomas Mintonにより創業されました。当初は、転写の技法を用い、青色の柄のスタンダードなデザインのテーブルウェアを製造していました。ただ、創業時よりデザイン性に優れており、「Willow」パターンは今でも人気の柄です。1800年ころには装飾を施した磁器の製造も始めましたが、1816~1822年の間、製造が止まっていた時期もありました。


その後、2代目のHerbert Mintonは新たな製造方法と事業分野を切り拓き、事業を飛躍させます。特に、1845年にMichael HollinsとMinton Hollins & Co Ltdを創業し、「装飾タイル」という新たな分野を作りだしました。

また、1840年ころ、「Parian」と呼ばれる美しい磁器が既にSpode社によって開発されていましたが、Mintonは更にそれを発展させ、更には多色の転写技術を開発することで、豪華な磁器製品を製造するようになりました。加えて、優れたデザイナーを擁したMinton社は更に事業を拡大していきます。

Herbert Mintonの後は、甥のColin Minton Campbellが事業を引き継ぎました。彼は中国の技法だけでなく、日本の漆塗りやトルコ磁器の技術も取り入れ、芸術性を高めた製品を作りだします。また、1870年にはロンドンのケンジントンに工房を開設し、デザインを強化していきました。(しかし、このスタジオは1875年の火災で焼失してしまいました。)

1890年代の半ば以降、Leon Solonによるアール・ヌーボーの作品が作られるようになりました。初期の頃の作品は、Gustav Klimtに代表されるウィーン分離派(Secessionist)の影響を受けており、「Secessionist ware」と呼ばれることもあります。この時代の製品は、実用性と装飾性を併せ持っているのが特徴です。この流れは20世紀に入る頃にピークを迎えます。

一方、第二次大戦後の1948年には、ハドンホール城の壁に掛けられていたタペストリーのデザインを基にした「ハドンホール」を発表し、Mintonの定番となりました。しかし、第二次大戦後、Thomas Mintonから数えて6代目に当たるJ.E.Hartillが工場の近代化を進めたものの、英国窯業の合理化の波に呑まれ、Royal Doultonに合併されました。現在、Royal DoultonはWaterford Wedgwoodグループに吸収されました。